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あれから9年…2011年3月11日の思い出 [できごと・日記]
東日本大震災から9年。
あの日は養成所の講師のお仕事の予定でしたが、
予定がキャンセルとなったため、家にいました。
そしてあの時間…突然の大揺れ。
私のいた部屋は家具の数は少なかったのですが、
細長い食器棚がグラグラと大きく揺れて中身が危険な状態に。
勤めていた会社の退職の記念品のウェッジウッドのカップ&ソーサー
海外旅行で買い求めたリチャード・ジノリの陶器セットなど
ブランド食器を入れていた食器棚が倒壊の危機!!
身の危険というより、食器が壊れる危機の方が勝って
食器棚を押さえていました。
揺れがおさまった後、家にいた母と愛犬おんぷが無事か
おんぷ部屋の4階へ。
テレビ台にしていたカラーラックからブラウン管の21型テレビが
床に落下していましたが、大きな被害はなく母もおんぷも無事でした。
おんぷは物事にあまり動じない子でしたが、興奮して階段を少し上って
落っこちたそうで。(怪我は無し)
それ以外はパニックを起こさずいつも通りの様子で一安心。
おんぷ部屋のキッチンにあった食器棚は揺れの方向が横揺れだったこともあり
食器が飛び出ることもなく、奇跡的に全て無事でした。
あの日は養成所の講師のお仕事の予定でしたが、
予定がキャンセルとなったため、家にいました。
そしてあの時間…突然の大揺れ。
私のいた部屋は家具の数は少なかったのですが、
細長い食器棚がグラグラと大きく揺れて中身が危険な状態に。
勤めていた会社の退職の記念品のウェッジウッドのカップ&ソーサー
海外旅行で買い求めたリチャード・ジノリの陶器セットなど
ブランド食器を入れていた食器棚が倒壊の危機!!
身の危険というより、食器が壊れる危機の方が勝って
食器棚を押さえていました。
揺れがおさまった後、家にいた母と愛犬おんぷが無事か
おんぷ部屋の4階へ。
テレビ台にしていたカラーラックからブラウン管の21型テレビが
床に落下していましたが、大きな被害はなく母もおんぷも無事でした。
おんぷは物事にあまり動じない子でしたが、興奮して階段を少し上って
落っこちたそうで。(怪我は無し)
それ以外はパニックを起こさずいつも通りの様子で一安心。
おんぷ部屋のキッチンにあった食器棚は揺れの方向が横揺れだったこともあり
食器が飛び出ることもなく、奇跡的に全て無事でした。
別の部屋の本棚、揺れの方向にあった単行本は本棚から
飛び出して落下していました。
電気は通じていたので、テレビは見ることができましたが
ガスは止まっていました。
夕食どうしよう・・・
取り敢えず、レンチンできるものを買いに行ってみようとコンビニへ。
そろそろ、コンビニの食品棚が品薄になりつつありました。
夕食の確保はできたので、その後はテレビを見つつ
ツイッターで皆さんの様子をチェックしていました。
テレビでは信じられない津波の様子が流れてきて
こんなことが今同じ日本で起こっているのか?!と言葉を失いました。
パニック映画の津波襲来のようにどっと街が飲み込まれるのではなく
じわじわと海から海水があふれ出てきて家や車が流されている
人々の日常が水で流されて行く、そんな映像でした。
ツイッターでは、交通が止まり「帰宅難民」となった知り合いさんがたくさんいて。
幸いツイッターはサーバーが落ちることなく、稼働してくれていたので
そこで様々な情報の交換ができましたね。
家の外を見ると、まさに帰宅難民となった人々がぞろぞろと家路を目指して
歩いているところでした。
東京は結構揺れたけれど、線路の点検が終われば交通も再開されるでしょうし、
無理に長距離の帰宅はかえって危険。
余震があるかもしれないし、今は移動するより、大きなビルの中で
待機した方がいいでしょうと、帰宅を迷ってる知り合いさんにリプを
書いたりしていました。
ガスも復旧方法をネットで調べて、復帰させました。
ずっとテレビを見続けていましたが、どれだけの被害が出ているのか想像もつかないくらい。
余震もありましたが、起きていてもどうすることもできず
その日は寝たと思います。
その後は福島原発の事故があったり、自粛モードが続いていたり
津波の被害や原発の被害、液状化の被害など大変な日々を過ごした
方々がいらっしゃいました。
完全復興にはまだ時間がかかっています。
原発も問題もまだまだ解決されていません。
今年「Fukushima50」という福島原発を舞台にした映画が
公開されました。
震災の年、現場で働いていた方の言葉をこのブログで紹介しました。
「19歳・福島原発所員の日記」
まさにその方たちの物語でもあるのですね。
映画は脚色された描写もあると思いますが、震災を、原発事故を忘れないために
見に行こうと思います。
当時東日本の広範囲が被害に遭い、日本は大丈夫なの???と
心配になりましたが、私たちは持ちこたえましたよね。
今はコロナウイルスという世界的な危機に見舞われています。
東日本のみならず、全国的な危機にまた立ち向かわねばなりません。
この見えない脅威が早く収束しますように。
電気は通じていたので、テレビは見ることができましたが
ガスは止まっていました。
夕食どうしよう・・・
取り敢えず、レンチンできるものを買いに行ってみようとコンビニへ。
そろそろ、コンビニの食品棚が品薄になりつつありました。
夕食の確保はできたので、その後はテレビを見つつ
ツイッターで皆さんの様子をチェックしていました。
テレビでは信じられない津波の様子が流れてきて
こんなことが今同じ日本で起こっているのか?!と言葉を失いました。
パニック映画の津波襲来のようにどっと街が飲み込まれるのではなく
じわじわと海から海水があふれ出てきて家や車が流されている
人々の日常が水で流されて行く、そんな映像でした。
ツイッターでは、交通が止まり「帰宅難民」となった知り合いさんがたくさんいて。
幸いツイッターはサーバーが落ちることなく、稼働してくれていたので
そこで様々な情報の交換ができましたね。
家の外を見ると、まさに帰宅難民となった人々がぞろぞろと家路を目指して
歩いているところでした。
東京は結構揺れたけれど、線路の点検が終われば交通も再開されるでしょうし、
無理に長距離の帰宅はかえって危険。
余震があるかもしれないし、今は移動するより、大きなビルの中で
待機した方がいいでしょうと、帰宅を迷ってる知り合いさんにリプを
書いたりしていました。
ガスも復旧方法をネットで調べて、復帰させました。
ずっとテレビを見続けていましたが、どれだけの被害が出ているのか想像もつかないくらい。
余震もありましたが、起きていてもどうすることもできず
その日は寝たと思います。
その後は福島原発の事故があったり、自粛モードが続いていたり
津波の被害や原発の被害、液状化の被害など大変な日々を過ごした
方々がいらっしゃいました。
完全復興にはまだ時間がかかっています。
原発も問題もまだまだ解決されていません。
今年「Fukushima50」という福島原発を舞台にした映画が
公開されました。
震災の年、現場で働いていた方の言葉をこのブログで紹介しました。
「19歳・福島原発所員の日記」
まさにその方たちの物語でもあるのですね。
映画は脚色された描写もあると思いますが、震災を、原発事故を忘れないために
見に行こうと思います。
当時東日本の広範囲が被害に遭い、日本は大丈夫なの???と
心配になりましたが、私たちは持ちこたえましたよね。
今はコロナウイルスという世界的な危機に見舞われています。
東日本のみならず、全国的な危機にまた立ち向かわねばなりません。
この見えない脅威が早く収束しますように。